佐賀県の伝統工芸・鍋島段通の背景にも深く関わる「鍋島藩」は、江戸時代を通じて佐賀を治めた外様大名の名家です。この記事では、鍋島藩の成り立ちから歴代藩主の功績、近代化への貢献、現代に残る文化遺産までをわかりやすく解説します。
鍋島藩とは?佐賀を治めた外様大名
鍋島藩は、現在の佐賀県佐賀市を中心に17万石(後に20万石超)を治めた藩です。その実態は外様大名でありながら幕府との関係は比較的良好で、安定した藩政を築いておりました。
藩主である鍋島家は、もとは龍造寺家の重臣として仕えていた家柄です。では、竜造寺家の重心であった鍋島家がどのように藩主へと上り詰めたのでしょうか??
龍造寺氏の家臣から藩主へ。鍋島勝茂の登場
初代藩主である鍋島勝茂は、龍造寺隆信の娘を母に持ち、隆信亡き後に龍造寺家を事実上統治した鍋島直茂の子になります。
関ヶ原の戦い後の1607年には、徳川幕府より佐賀藩主として正式に任じられ、鍋島家は大名家としての地位を確立するに至りました。
鍋島藩の中興と藩政改革
2代目以降の鍋島家当主は、藩政改革や殖産興業に力を注いでいきました。それは、財政再建のための専売制度や検地改革を行うことで、質実剛健な藩風を築いていくこととなりました。
また、この時代に武士たちの教養や礼法を重んじるという「葉隠」の精神も広まりました。『葉隠』の著者・山本常朝は鍋島藩士であり、この思想は後の武士道にも影響を与えています。
『葉隠』は、「武士道の聖典」とまで言われていた書物で、激烈な狂気を礼讃している一方で、きわめて常識的な処世の知恵をも教えている「人生の指南書」でもあります。
その中から現代にも通じる百四十篇を選別し、テーマ別に整理した上で、現代語訳・注・原文の順に配列されたものがありますので、気になる方はチェックしてください。
幕末の先進藩──鍋島直正の技術革新
幕末の鍋島藩は、鍋島直正の下で近代化に大きく舵を切ります。直正は藩校・弘道館を整備し、西洋技術の導入や軍事力強化を進めました。
特筆すべき鍋島藩の功績:
- 反射炉の建設(築地反射炉):日本初の反射炉で、国産の鉄製大砲鋳造に成功しています。
- 鉄製砲の開発:長崎防衛のために独自の砲として、鉄製砲を開発しています。
- 蒸気船の建造:薩摩・長州と並ぶ技術水準であったと言われています。
直正の指導の下、鍋島藩は「幕末の三大先進藩」と称されるほど、近代化に成功した藩となりました。
明治維新後の鍋島家と佐賀の乱
明治維新後、鍋島直大は新政府に仕え、華族制度の中で侯爵の地位を与えられます。しかし、旧佐賀藩士たちの不満が高まり、1874年には江藤新平を中心とした「佐賀の乱」が発生しました。
それにより旧藩士と新政府との緊張が表面化するに至りました。
鍋島藩の文化遺産:鍋島焼・段通・反射炉
鍋島藩は文化・技術の面でも高い水準を誇りました。
- 鍋島焼:将軍家献上用の磁器として栄えた高級陶磁器です。今も有田・伊万里として継承されています。
- 鍋島段通:藩主の座敷などに使われた手織りの敷物です。現在も佐賀で作られています。
▶詳細はこちらの記事をご覧ください:職人技が光る「鍋島緞通」とは?歴史や特徴、価格・体験・全国の段通情報まとめ - 築地反射炉:国産砲の鋳造に用いられた、現代日本の産業革命の原点です。
これらの文化遺産は、佐賀市内の施設や工房で現在も見学・体験が可能です。
佐賀市で訪れたい!鍋島藩ゆかりの観光スポット
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さて、ここまで鍋島緞通について見てきましたが、鍋島段通の背景を知るのであれば、佐賀藩関連の観光地めぐりもおすすめです。
佐賀城本丸歴史館
佐賀の鍋島藩十代藩主である鍋島直正が建てた、佐賀城の本丸御殿の一部を忠実に復元しています。
館内は、幕末から明治維新にいたる歴史を伝える歴史博物館になっています。
佐嘉神社
学問の普及や、さまざまな偉業を残した佐賀の鍋島藩十代藩主である鍋島直正と、十一代藩主直大を祀った神社です。文化、学問、交通の神さまとして崇められています。
徴古館
鍋島家ゆかりの美術品や調度品などの資料を展示しています。
隔林亭
鍋島直正の別荘としてつくられた神野御茶屋を、わずかな資料をもとに復元した茶室です。
まとめ:技術と文化の先進藩・鍋島藩の功績を知る旅へ
鍋島藩は、ただの外様大名ではありませんでした。文化・軍事・産業・教育において独自の路線を築き、幕末の混乱期を理知的に乗り越えた存在です。
鍋島段通などの伝統工芸に触れながら、佐賀の地でその歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
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