三重県熊野市にある「波田須の道」は、熊野古道の一部として世界遺産に登録されている歴史ある道です。この道には、中国の秦の時代に不老不死の薬を求めて旅をした徐福が訪れたという伝説が残っています。なぜ徐福は波田須を選び、この地で何をしたのでしょうか?本記事では、波田須の道と徐福伝説のつながりを詳しく解説します。
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波田須の道とは?
波田須の道は、熊野古道・伊勢路の一部で、伊勢から熊野三山へ向かう巡礼者が通った古道です。この道は美しい石畳が特徴で、海と山の景色を同時に楽しめる人気のハイキングコースでもあります。
また、波田須の地は古代から交易の要所であり、海を渡る人々が立ち寄る場所でもありました。
そしてこの土地には、秦の始皇帝の命により、不老不死の薬を探し求めていた徐福が上陸し、生活していたという話も残されています。
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徐福伝説とは?
徐福は、紀元前3世紀ごろの中国の人物で、秦の始皇帝の命を受けて不老不死の薬(仙薬)を探す旅に出たとされており、数百人の従者を率い、東方の海を渡って日本にたどり着いたと伝えられています。
日本各地に徐福が訪れたという伝説があり、波田須もその一つであり、徐福はここで薬草を探し、地元の人々と交流しながら暮らしたとされています。
徐福は波田須に何をしに来たのか。
徐福が波田須に来た目的は、不老不死の薬を見つけるためでした。
その経緯は、徐福が秦の始皇帝に「東の海に仙人が住む島があり、そこに不老不死の霊薬がある」と進言し、大量の資金と人員を得て航海に出たというものです。
日本各地を巡ったとされる徐福ですが、ここ波田須の地では、特に薬草を探していたと言われています。もともと熊野地方には薬草が自生していたため、徐福はそれを求めてやってきた可能性がありますね。
しかし、薬草が自生していたのは熊野地方だけではないと思うのですが、何故波田須だったのでしょうか??
何故、波田須の地を選んで来たのか。
徐福が波田須を選んだ理由として、以下の点が考えられます。
1. 黒潮の影響で温暖な気候
波田須は黒潮の影響を受け、温暖で過ごしやすい土地だったためと考えられています。
2. 薬草が豊富な地だった
熊野地方は薬草が多く、古来から医薬の知識が発達していたためと考えられます。
3. 航海ルートの関係
東シナ海から日本へ渡るルート上にあり、船で上陸しやすい地形だったと考えられます。
これらの条件が、徐福とその一行が波田須を訪れる理由となったと考えられています。
では、徐福はこの地で何をしていたのでしょうか??
徐福が波田須の地で行ったことは?
徐福は波田須に滞在し、薬草を探しながら地元の人々と交流したと伝えられています。
薬草の探索
不老不死の霊薬を求め、熊野の山々で薬草を採取していたそうです。
農耕や医薬の技術を伝えた
地元の人々に稲作や薬草の利用法を教えたともいわれています。
航海の安全祈願を行った
航海の途中だったため、無事に旅を続けられるよう祈願したとされています。
波田須の地に残る徐福の痕跡
現在、波田須の道には徐福にまつわる場所がいくつか残っています。
1. 徐福の宮
徐福を祀る小さな神社で、地元の人々が守り続けています。
2. 徐福の宮の鳥居跡
かつての神社の鳥居があった場所で、徐福ゆかりの地として知られています。
これらの遺跡は、徐福伝説が地元の人々に長く語り継がれてきた証拠です。
ただ、薬を求めてやってきて、そこで生活をしていたとしても、何故これほどまでに慕われたのでしょうか??
徐福はどうして祀られるほどに慕われたのか??
徐福はなぜ波田須の地で神として祀られるほどに慕われたのでしょうか?
農業・医療の知識を伝えた
地元の生活を豊かにし、恩人として敬われました。
熊野の地で長く暮らした可能性
一時的な滞在ではなく、定住したという説もあり、地元の人々との絆が深かったと言われています。
中国の文化を伝えた
外国から来た知識人として影響を与えた。
これらの要因が重なり、徐福は後世にわたって信仰の対象となったと言われています。
徐福のその後はどうなったのか。
徐福のその後については諸説ありますのでご紹介します。
1. 波田須に定住し、最期を迎えた
ここで人生を終え、神格化されたという説があります。
2. さらに東へ旅を続けた
静岡や佐賀、和歌山などに移動し、不老不死の薬を探し続けたとされています。
3. ついに不老不死の薬を見つけた?
伝説では、不老不死の薬を発見したものの、中国へは戻らず日本に永住したともいわれています。
実際のところ、徐福のその後についての真実は謎に包まれていますが、彼の足跡は日本各地に残り続けています。
日本各地に残る徐福の痕跡
徐福伝説は日本各地に伝わっており、各地にゆかりの地や伝承が残されています。
以下に主な場所とその概要を紹介します。
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徐福長寿館(佐賀県佐賀市)
徐福が上陸し、この地で不老不死の薬を求めたと伝えられています。
徐福長寿館では、徐福に関する資料や伝説が展示されています。
蓬莱の島台(静岡県島田市)
徐福のお立ち台としての伝承があります。徐福一行がこの辺りで不老不死の薬を探していたといわれています。
阿須賀神社(和歌山県新宮市)
徐福がこの地に上陸し、阿須賀神社を建立したと伝えられています。境内には徐福を祀る祠があります。
他にも多数徐福にまつわる場所がありますが、これらを見ていると、日本に来て薬草を探す中で、それぞれの場所で地元の方に大きな影響を与えていたことが分かりますね。
波田須の道と徐福伝説のまとめ
以上、【こころの旅路」徐福伝説と波田須の道のつながりについてリサーチ!日本各地に残る徐福の痕跡とは?をお届けいたしました。
波田須の道は、熊野古道の一部として多くの巡礼者が歩いた歴史ある道です。ここには不老不死の薬を求めて旅した徐福が滞在したという伝説が残っています。
徐福は波田須の地で薬草を探し、農耕や医薬の技術を広め、地元の人々に深く慕われ、今もなお徐福を祀る神社や伝説が残っています。
熊野古道を訪れる際は、ぜひ波田須の道を歩き、歴史ロマンあふれる徐福伝説の世界に触れてみてください。
参考
1. 熊野市観光公社公式サイト:https://kumano-kankou.com/?p=57
2. わかやま歴史物語: https://wakayama-rekishi100.jp/story/059.html
3. 日本と中国の中学生主役の映画「徐福さん」「ジョフクの恋」やオペラ「蓬莱の国徐福伝説」、歌謡曲「徐福夢男」「徐福音頭」ほかの徐福関係曲がある。: https://intojapanwaraku.com/rock/travel-rock/109049/
4. PHPオンライン 衆知: https://shuchi.php.co.jp/article/8729
5. 観光三重(かんこうみえ): https://www.kankomie.or.jp/spot/8805
6. 佐賀市観光協会公式サイト: https://www.sagabai.com/main/3776.html
7. サライ.jp: https://serai.jp/hobby/1014621
8. 飛鳥ネット: https://www.asukanet.gr.jp/tobira/jofuku/jofuku.htm
9. 熊野市観光協会公式サイト: https://www.kumano-kankou.info/kumanokodo/hadasu/
10. 中泊町公式サイト: https://www.town.nakadomari.lg.jp/material/files/group/10/jyohuku.pdf
11. 三重県文化情報「みえの歴史街道」: https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/kaidou/rekisi/rekisi18/index4.htm
12. 九州観光推進機構公式サイト: https://www.welcomekyushu.jp/unchiku/?id=70&mode=detail
13. 東紀州観光手帖: https://kumanokodo-iseji.jp/kumanokodo-iseji/root10/
14. 株式会社ヤマコ公式サイト: https://www.yamako.net/jofuku01.html
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